尾道と高野長英
高野長英という男がいる。(1804-1850)
幕末の蘭学者で医者である。この男、勇気、力、学力、いずれもずば抜けた英才であった。
「夢物語」という書で、幕藩体制を批判して、投獄され、脱走し、蘭学を研究し、最後に自殺している。
この男が尾道にいたことがある。
この尾道で何をしたのか?
「自分の婚約者に酷いことをした。」と書いてある。(童門冬二氏)
彼は陸奥水沢の人である。高野家の養子になった。その娘「千才」と夫婦になることで医術も学び、学費もだしてもらった。
ところが当人は江戸で学び、長崎でシーボルト(オランダの医師)に4年間教わった。
広島から尾道に来て尾道で診療と講義を行った。
その時、婚約者「千才」はすでに25歳。当時では婚期遅れになっていた。婚約者の親類が「長英」を連れ戻しに来て、尾道で捕まえた。
ところが高野長英は、「あの娘と一緒になるつもりはない。」となんとも薄情な男ぶり。
大抵の男は、尾道に来るとこの尾道の景色の中でロマンチックになるし、優しくなるのに、長英は違ったようである。
とにかくもこのいいなずけ千才は後に結婚したが、長英という男、大酒を飲んで、背を向けて寝て、体を開くことはなかったそうである。
罪な男である。
後世に名を残した人の、なんともだらしない一面が尾道に残っている。しかしその人間臭い一面に、その存在感の身近さをも感じる。
江戸で脱獄した後、尾道に滞在したのか、長崎遊学の後か論じられたことがあったが、1830年の書簡があるとのことで、脱獄の前であることが分かった。
幕末の適塾、緒方洪庵が1862年に尾道に来ている。
鮮鯛やイカに舌鼓を打ったそうである。
「軒しげく建てる家なる、あしびきの山の尾道道せばきまで。」
この緒方洪庵の息子が日本で最初の帝王切開を行った医師であり、その医師によって生まれた子供が有名な中井正一氏であった。
尾道の誇りとする人物である。中井正一氏については次回書いてみたい。
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