蟹工船と尾道と (小林多喜二)

「蟹工船」が今、ベストセラーになっている。
この小林多喜二と尾道の関わりを、私の友人T氏の承認を得て下記する。
一つ、尾道の対岸の向島に住んでいた田辺耕一郎(出身 安芸高田市 高田)と多喜二の関係である。
多喜二が特別高等警察により、1933年2月20日に拷問により殺された。その遺体を取り囲む友人達の写真の右端の隣にいるのが田辺耕一郎である。
田辺は広島の中学校を中退して上京し、出版社に勤めながら詩や小説を書き、プロセタリア作家同盟に入って「工場細胞」を新潮社の文学時代に載せた。
その12日前には「林芙美子」の「恋文」という短編もでている。
殺される多喜二には、3年前投獄されているとき、田辺耕一郎は面会し差し入れをした。耕一郎のような勇気のある人は少なく、今でもそうだが刑務所への差し入れは特に大変なことであった。
多喜二は11月4日の手紙に、「僕は何時でも君を思うとき、巣鴨のあの中までズカズカ入ってくれた友情を考える。このことは僕を深く感動させる。」と書いてある。
又、遺体を解剖して死因を明確にする行動も、多喜二の事と田辺は行動を共にしている。
その数ヵ月後、耕一郎はナチスドイツの焚書に抗議する学芸自由同盟の書記を務めた。その名簿には、川端康成、林芙美子、平林たい子の名も連ねている。
そして戦後になって。
戦後、耕一郎は尾道の向島の兼吉に住み、文化活動に乗り出した。
1949年に川端康成が耕一郎に会うため尾道に訪れた後出稿された、「天授の子」という作品の中で、耕一郎が文中に、桑田という名で尾道と共に登場する。
もし小林多喜二が殺されずに生存していたら、戦後尾道を訪ずれ、彼の故郷、小樽と相似た港町を題材にした一遍の文学作品が出来上がったに違いないと想うものである。
次回は多喜二と尾道を題材にした、小説の神様、志賀直哉のことを報告したいと思う。
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4月 24th, 2009 at 3:26 PM
[...] 以前書いた記事「蟹工船と尾道と(小林多喜二)」の続きで、小説の神様志賀直哉について書きたい。 [...]
8月 14th, 2010 at 2:07 PM
私の住む町では読書会活動を続けて20年になる。会員を小グループに分け、そのグループで課題図書を選んでいるが、去る3月に私のグループは『蟹工船』を選んで皆で討議した。この小説には感動しましたが、特に多喜二が拷問せられて、体が赤く腫れあがり数人が取り囲んでいる写真は衝撃でした。惜しい人を失ったです。尾道の先取の気風が、多くの人を育てたのですね。