尾道と荒木村重

かつて安土桃山時代に道糞という茶人がいた。

この道糞は自らを道に転がった犬の糞みたいなものだと自分を疎んじて、自らをこう名付けた男である。

尾道に西郷寺という「時宗」の寺がある。この男はこの寺に住みながら「茶の湯」だけは忘れずに「敗る身」を「残月」を眺めながら暮らしていたのである。

尾道の人は優しかった。尾道は「駆け落ちした人」「戦に敗れた人」「人生の戦いに疲れた人」をそっと抱きかかえた街である。そしてこの人達がこの尾道の街の中で生きる力を得ていくと、そっと去っていく街でもある。

この男「道糞」はかつて織田信長に取り立てられ、明智光秀、豊臣秀吉に並ぶ武将であった。摂津(大阪)城主でもある。

しかし彼は、本願寺(浄土宗)攻略の最前線の武将でありながら、心変わりして信長に背き、「毛利」と手を組んだのである。

信長は信頼していた部下の叛意が信じられず、何度も問い直してようやく信じたが、それでももう一度「許す」と使者を送ったほどである。明智光秀が叛逆する前の、最初の大規模な叛乱であり、信長と本願寺との戦いの大事な時であり、信長の戦略が大きく綻んだきっかけになったのである。

どうも、この男の反逆の真意がよくつかめないのだが、作家、遠藤周作は名作「反逆」でこの経緯を書いている。

どうしても帰参しないと判断した時の信長は厳しい。直ちに全軍挙げてこの荒木村重を打ち滅ぼしたのである。

ここからが面白い。

荒木の有力な部下である「高山右近(キリシタン大名)」のもとへキリシタン宣教師を派遣して説得に行かせた。右近は信長に従い、荒木村重を裏切り、攻めたのである。

荒木村重は単身毛利に応援を求めに走ったのだが毛利は援軍を出さず、村重の妻女、親族は、京都加茂の河原で処刑されたのである。

それからの村重は、何故か尾道で世捨て人となり、茶の湯を楽しみながら、山と海を眺めて暮らしたのである。自らを「道糞」と名付けて。

それから年月を径て、世は秀吉の天下となった。

秀吉はかつての朋輩村重を御伽集(おとぎしゅう)として召抱え、茶頭の仕事を手使わした。村重は「道糞」の号を変えた。

あるとき、秀吉は村重に、高山右近をどう思うか問うた。すると村重は「あやつは裏のある男だ。」と右近を良く云わなかった。それを聞いた秀吉は直ちに村重を辞めさせた。

自分が主、信長を裏切っておきながら、自分を裏切った高山右近を悪し様に云うことが許せなかったのであろう。それが分からない村重が悲しい。

自分を信じて付いてきた部下や親族を全て見殺しにした村重。又、自らを道糞と名付けて、尾道で「茶の湯」を相手にしながら暮らしてきた時分、「そのまま尾道にとどまっておれば。」と思うとき、やるせない思いである。

又、もう一度栄光を求めて、秀吉に仕える村重、そして最後は尾張に移り住んだ村重の末路を記したものはない。そこには、人間の業を思わざるを得ない。

尾道の西郷寺は元、「西江寺」とも云われ坊事川の裏側にある「時宗」の寺である。本堂は端正で美しい。今も村重が住んでいた姿を伝えている。

村重は信長の死を尾道で聞いた。どのような気持ちで受け取ったのだろうか?又、秀吉に召された時に、彼は「道薫」と名を変えた。

この「道糞」から「道薫」へと、正に村重の気持ちの変わり様、ここに人間の哀れを思わざるを得ない。

死に至るまで「道糞」と名乗れば、まだ救われる。自分が妻子まで死なせてまだ生き続ける己を「道糞」として見続けることが出来なかったのだろうか?

いつまでも人間の業の深さと哀れを深く感じざるを得ない。今も、しっかりと簡素に力強く存在する西郷寺の本堂を見るにつけても、この思いは深い。
saigouji 300x200 尾道と荒木村重

西郷寺
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3 Comments

  1. takemoto (4 comments)

    尾道歴史新聞を拝見いたしました。8月7日に尾道へ行くことを急に思い立ち、前日、貴新聞を読みまして、すぐにコメントを送ったのですが、承認待ちかなと思っていました。もう一度送ります。今までの歴史は勝者側から書いたもので、敗者は特に悪く書かれています。村重が信長に反旗を翻したのも、初めのころの信長はよかったけれども、信長の性格・考え方についていけなくなったからだと思います。村重も下剋上の人間ですが、人間性豊かです。摂津・播磨、毛利へと信長は領地を広げていきますが、ほとんどの大名が信長を阻止しています。非戦闘員まで惨殺する信長のような恐怖政治を行ってはいけません。本能寺の変があってよかったです。あとを継いだ秀吉は朝鮮出兵をし、中国までも攻める気持ちだったそうです。韓国の人たちは朝鮮出兵を今でも覚えています。春に韓国へ行きましたが、秀吉のことをガイドさんは言っていました。
    私は第二次世界大戦で空襲を体験し、本当にみじめな思いをしました。敗者の村重に非常に同情していろいろ調べています。村重は尾道で平安な刻を過ごし、一族郎党の成仏を祈ったことでしょう。苦しみを背負って生きてこそ、かつての城主です。もう少し弱者の立場で村重を理解していただきたいと思います。
    7日に尾道へ行きましたが、村重贔屓の人々に出会い心温まる1日でした。

  2. takemoto (4 comments)

     信長は尾道で殺されたとかかれていますが、その出所を知りたいです。
    もう少し具体的に教えていただけませんか。先生のお名前とかご専門です。
    お願いいたします。

  3. admin (4 comments)

    takemotoさん、コメントくださりありがとうございます。
    本記事の作者は私の父なのですが、現在体調不良をおこしておりまして、
    コメントくださったお問合せの件につきまして、すぐにお答えできない状況です。
    詳しいことがわかりましたら、ここにご連絡させていただきます。
    私自身も時間があれば、西国寺などを見学して、何か分かることがないか
    探してみたく思います。
    「信長は尾道で殺された」というタイトルがショッキングで、私も興味を持ちました。
    いつまでにご返答というお約束ができないこと、ご了承くださいますようお願いします。

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