尾道の芸者の奇妙な風習<生きている間に葬儀>
前回、尾道の「尼さん」について記した。
尼さんが尾道の「常称寺」に百人以上いたこと、又その人々が何を収入の糧として生活していたかについては、古着の修理、又は町人の子供達に「読み書き」を教えていたことを書いた。
その古着のことについてであるが、尾道の輸出品としては大事な商品であったのである。当時北前船の輸出品として、塩、鉄製品、畳表、酒、酢、が主要品であるが、他に讃岐の砂糖、そして古着とがある。
古着の類が商品として輸出されることなど、現代人には考えにくいところであるが、北陸、北海道では木綿がないので重宝がられたようである。特に「道服」というのは、着物の中に綿を入れたいわゆる「どてら」であり、当時の防寒着として重宝がられた。
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